休み時間にせっせと学校の宿題をやっている生徒さんがたくさんいます。
小学5年生の男の子が宿題の質問をしてきてくれたので、答えてあげました。
(もちろん答えじゃなくてヒントとかですよw)
そのままその子のやってる様子を見ていたのですが、ぶつぶつ言いながら解いていたので心の声を聴くことができて、気になることが。
計算ドリルの割り算の問題で
「あれ?余りが出てきた。おかしいな、さっきまで割り切れてたのに。あ、ここ色がついてる。違うパターンのやつや!だからいいんや!」
見るとそのページに20問ある問題のうち1,6,10,16に色がついています。
伝わりにくいかもしれませんが、この計算ドリルは5問ごとにグループ分けされているんですね。
昔の問題集でも大問の中の問題にも難易度が分かれていて、少しずつ難しくなるように大問が構成されていることがよくあります。
彼の解いていた計算ドリルは、その難易度が変わる問題ごとに赤、黄色、青、緑などの色分けがされていたのです。
つまりドリルが「16からはパターンが変わるよ~」と教えてくれてるんですね。
これが完全に余計なお世話。
違うパターンだから余りが出てきてもいい、なんてルールがどんなときに役立つのか。
そうすることによって、彼は自分で余りが出るかどうかを考えることをやめてしまっているのです。
同じような問題として、最近では計算ドリルを書き込むためのノートみたいなものもワンセットで渡されているようですね。
このノート、かけざん・割り算の筆算は、方眼に入れて書くようになっています。
確かに私も計算が苦手な子に方眼紙を渡して計算させることはありますが、それはあくまでも工夫です。
方眼紙によって、整理して計算すればミスが減る、ということを実感できたら、自分で白紙にも整理して書くようにする、ということを指導します。
方眼紙は自転車に例えるなら補助輪です。
いずれは外すものです。
ずっと補助輪では、急に補助輪なしになっても自転車に乗れるようにはなりません。
どちらの例も本当に余計なお世話。
子どもたちの自ら考える力を奪ってしまいます。
カラフルで使いやすい教材=良い教材、とは限りません。
きちんと意味を考えて、子どもたちに使わせてあげないと、プラスどころかマイナスになってしまう可能性すら感じています。